2013年05月21日
ターミナルケア
もう30年も前の話です。
私の祖母は、末期の胃がんでした。
その最後には、自宅にいて祖父に看取られながら静かに目を閉じ、祖父に礼を言いながら、息を引き取りました。
しかし、私の若い従弟たちが、救急蘇生法を施し一命を取り留めました。
その後、祖母は病院で一月ほど入院の後、亡くなりました。
病院での一月は、祖母にとってはとても苦しく、介護の親族にとってはつらい時間でした。
救急蘇生をした事が間違いではありません。当然するべきことでした。
当時は、当たり前の事でした。
今では、自分の最後は、手続きは必要ですが、自分で選べるようになったそうです。
世の中、変わるものだと思いました。
田中
私の祖母は、末期の胃がんでした。
その最後には、自宅にいて祖父に看取られながら静かに目を閉じ、祖父に礼を言いながら、息を引き取りました。
しかし、私の若い従弟たちが、救急蘇生法を施し一命を取り留めました。
その後、祖母は病院で一月ほど入院の後、亡くなりました。
病院での一月は、祖母にとってはとても苦しく、介護の親族にとってはつらい時間でした。
救急蘇生をした事が間違いではありません。当然するべきことでした。
当時は、当たり前の事でした。
今では、自分の最後は、手続きは必要ですが、自分で選べるようになったそうです。
世の中、変わるものだと思いました。
田中
2013年05月21日
ターミナルケア。
幾度となくその時間は過ごしました。
この方がこの方らしく過ごせることを。
もっと何か出来たのではないか…と。
今も感じが似た方に会う度に思い出します。
ご自分らしく過ごせたのだろうかと…。
山下。
この方がこの方らしく過ごせることを。
もっと何か出来たのではないか…と。
今も感じが似た方に会う度に思い出します。
ご自分らしく過ごせたのだろうかと…。
山下。