2014年11月20日

偏見。

思い悩み、辛く、悲しいとき、それを一般に『憂』と言います。

そしてそんなとき、人が側に寄り添う様は《にんべん》を加え『優』と表します。

こんにちは、津田です。

また世の為人の為、良い行いをしたとしてもそこに見返りなどを求めたとすれば、それは本来の優しさではなく『偽』

漢字の成り立ちとは面白いもので、《にんべん》ひとつ、その言葉の本質を教えてくれるような気がします。

そうなると、優秀な人とは優しさが秀でた人。

単に知識や技術、作業効率などのみではなく、他人への想いまで含まれるとすればなかなかに奥の深い言葉のような気がします。

『病気 やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です』

山田規久子著『壊れた脳生存する知』において、主治医でもある義兄が経営する施設の全スタッフに、利用者のことをそう表現したそうです。

なるほど、障害者や高齢者をとかく《社会的弱者》と表現される昨今、この《勝者》という言葉にいかに自分が偏見をもっていたかを過去に思い知らされました。

利用者と向き合うとき、その家族や施設スタッフ、そして自分。

勝者をどのように盛り立て寄り添い、貢献するか。

『優勝』って言葉、そう考えるとスポーツのそれとまた違った見方が出来そうで、また同時に新たな目標ともなりそうです。



Posted by 自立援助協会スタッフ  at 22:12 │Comments(0)

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